函館ハリストス正教会

函館ハリストス正教会関連略年表

西暦 和暦 できごと 準拠
1854 安政1年 日露和親条約調印(下田)  
1855 安政2年 日露修好通商条約調印  
1857 安政4年 日露追加条約調印(長崎)、箱館での通商許可  
1858 安政5年 3月24日、宗務院よりワシイリイ・マホフ神父、函館の主任司祭として任ぜられる 「窓」第121号
初代ロシア領事ゴシュケヴィッチ一行15名、軍艦ジギット号にて来函。実行寺止宿
(ゴシュケヴィッチ、妻エリザヴェータ、フィラレト神父、書記官オワンデル、医師アルブレヒト、海軍士官ナジーモフ、その他)10月24日 (写真
「地域史研究はこだて」第22号
1859 安政6年 箱館、通商貿易港として開港
実行寺境内に正教会の祭祠堂が建てられる
7月ワシリイ・マホフ神父及び誦経者イオアン・マホフ着任
亀田にロシア病院が建てられる
「窓」第121号
1860 万延1年 大工町(現正教会地)にロシア領事館及び教会竣工
初代聖堂には大鐘1個、小4個(写真)、(写真
 
1861 文久1年 7月14日修道司祭ニコライ・カサートキン着任(ワシリイ・マホフ神父の後任)
誦経者イワン・マホフ、「ろしやのいろは」(ロシア語入門書)を作成(写真
亀田のロシア病院、火災で焼失
「窓」第121号
1862 文久2年 聖堂、南北に拡張して十字型平面となる  
1863 文久3年 ロシア領事館の敷地にロシア海軍病院が建てられる
医師アルブレヒト帰国、後任に海軍医師のゼレンスキー着任
サルトフ来函(写真
ニコライの日記(露語Ⅰ)
1864 文久4年 ゴシュケヴィッチの妻、エリザヴェータ永眠、境内地に葬る(写真  
1865 慶応1年 商船モノマフ号にて箱館港よりゴシュケヴィッチ帰国、後任ビュッツォフ着任(後、初代公使) ガンガン寺物語
1866 慶応2年 ロシア領事館で写真術を学んだ木津幸吉、写真屋を開業  
ロシア病院より出火、焼失  
1867 慶応3年 大政奉還  
1868 慶応4年 パウエル澤辺琢磨、イオアン酒井篤礼、イアコフ浦野大蔵、ニコライ師より洗礼を受ける  
1868 明治1年 ニコライ師、宣教規約(布教の方針)を作成 日本正教伝道誌
戊辰戦争  
1869 明治2年 ニコライ師、一時帰国(日本宣教団(日本伝道会社)の設立を宗務院に請願するため)  
箱館戦争、開拓使出張所が置かれ、箱館から函館に改められる  
ロシア領事ビュッツォフ転任し、領事代理タラフテンベルグ  
ニコライ師、『ロシア報知』に論文「キリスト教宣教団の観点から見た日本』(邦訳)『ニコライの見た幕末日本』を発表  
1870 明治3年 宗務院はニコライ師の請願を受けて、日本宣教団(日本正教伝道会社)設立を認可、ニコライ師を掌院に昇叙、宣教団団長とする ニコライの日記(1895年6月11日)
ロシア領事オラロフスキー着任  
1871 明治4年 ニコライ師、帰国/伝道会社(宣教団)発足  
当時、函館においてニコライ師の学舎に相会した者:澤邊、小野、影田、高屋、笹川、津田、小松、大立目、大篠、岡村など 日本正教伝道誌
石版印刷にて、ニコライ師が日本語を学んで初めて訳した「天主経」、「日誦経文」、「東教宗艦」、「教理問答」などを印刷
その他写本として伝えられた書:「聖経実績録」、「露和字彙」
 
小野荘五郎ら12人が洗礼を受ける  
ニコライ師、布教のためイオアン小野(荘)を仙台に派遣  
パウエル澤邊、ニコライ師に先んじて東京に赴く  
アナトリイ・チハイ神父来函(1872~1879、函館管轄)(写真  
1872 明治5年 ニコライ師、上京  
ロシア領事館、東京へ移る/聖堂は函館正教会へ移管  
3月23日、復活祭、約30名の参祷者  
3月、酒井篤礼、官憲に捕縛される(弁天台の牢獄)  
3月、函館の伝教者ら(津田、影田)函館開拓使刑法局に呼び出され、投獄される  
6月、伝教者ら釈放、アナトリイ神父に迎えられ、感謝祈祷を行なう  
1873 明治6年 官立函館学校にサルトフを招いてロシヤ語科を興す 函館教育史
伝教学校開始(伝教者は澤邊、酒井、笹川、五十嵐ら)  
三井道郎、アナトリイ師より授洗/盛岡から同行した6,7人も一緒、代父はロシア人将校 仙台ハリストス正教会史
ヤコフ・チハイ来函(写真  
1874 明治7年 サルトフ永眠、現船見町のロシア人墓地に葬られる 函館市史資料編(Ⅱ)
伝教学校増築、小学部を正教小学校を称する  
第一回全国公会(東京、ニコライ師他5名)  
1875 明治8年 1月、開拓使及び県令に宛てた手紙にて旧ロシア領事館跡地借与経過及び正式譲渡依頼  
3月、旧ロシア病院跡地の賃貸契約成立 ロシア関係古文書(№30(39))
7月、パウエル澤邊琢磨、カムチャッカの主教パウエルが来函し司祭に叙聖(日本で初めての神品機密)、ニコライ師も13年ぶりに来函。イオアン酒井篤礼、輔祭に叙聖  
10月、ゴシュケヴィッチ、ヴィリノ(現ヴィリニュス、リトワニアの首都)で永眠 ガンガン寺物語
松陰学校、元町学校と改称、後に廃校  
1876 明治9年 有川正教会(現、上磯正教会)始まる 上磯ハリストス正教会120年史
1877 明治10年 須川長之助、アナトリイ神父より洗礼を受ける(聖名、ダニイル)  
1878 明治11年 7月、イオアン酒井、伝教者マトフェイ影田、イオアコフ高屋、テモフェイ針生、パウエル佐藤の5名、ウラジオストックでカムチャッカのマルチニアン主教によって司祭に叙聖される  
1879 明治12年 3月、アナトリイ神父公使館付司祭となり函館を去る(東北を巡回しながら東京へ)  
ヤコフ・チハイ、東京の神学校で教鞭をとるために函館を去る  
ニコライ師、二度目の帰国(大聖堂建設資金を募るため)  
アナトリイ神父の後、エウフィミイ神父1年間、ガウリイル神父が3年間、デミィトリイ神父が1年間で、計5年間に三人の司祭が来任した ガンガン寺物語
1880 明治13年 ニコライ師、レーヴェリ(現、エストニアの首都タリン)の主教に叙聖される  
ニコライ師、日本に戻る  
イリナ山下りん、ロシア留学  
1881 明治14年 3月、イオアン酒井篤礼神父永眠  
1882 明治15年 テイト小松司祭(最初の日本人司祭)着任(1882~1893)  
開拓使、廃止されて三県(箱館・札幌・根室)となる  
1884 明治17年 函館ロシア領事館復活、裁縫女学校(「元町露西亜女学校」)(正教会)設置  
1885 明治18年 5月、ティト小松神父、色丹島巡回 ニコライの日記(Ⅱ)
8月、ニコライ師、函館巡回  
1886 明治19年 三県、廃止されて北海道庁できる(札幌本庁、函館支庁)  
1888 明治21年 この頃、山下りんの「機密之晩餐」(上磯正教会に現存)作成される(写真)  
1889 明治22年 セルギイ・グレボフ神父着任  
1890 明治23年 アナトリイ神父、帰国  
裁縫女学校を正教女学校と改称  
1891 明治24年 詠隊教師、イサアク増田作太郎着任  
8月、ニコライ師、北海道巡回の際、来函  
アルセニイ・チモフェエフ神父着任  
1893 明治26年 ティト小松神父、白河正教会へ転任。ペトル山懸金五郎神父着任(1893~1900)  
掌院アナトリイ、サンクトペテルブルクにて永眠(写真  
1898 明治31年 ニコライ師及び掌院セルギイ(ストロゴロツキイ)北海道巡回開始にあたり函館に到着  
正教小学校、廃止となる  
この頃、江差の市内と郊外に併せて7件の信徒あり/江差を山懸神父の管轄下に置く ニコライの日記(Ⅴ)
8月、ニコライ師及びセルギイ師、色丹島に到着  
1899 明治32年 大町に函館セミョーノフ会できる  
代理領事ポリャノフスキー滞在  
1900 明治33年 ロシア副領事ゲデンシュトロム来函  
ペトル山懸神父、盛岡正教会へ転任。ニコライ桜井宣次郎神父(札幌兼任)  
1901 明治34年 アンドレイ目時金吾神父着任(1901~1912)  
アンドレイ目時神父、根室、色丹島、釧路の教会を巡回  
根室近郊の和田村から東京の伝教学校へペトル田中が一時入学(目時神父の推薦)  
1904 明治37年 日露戦争勃発  
要塞地帯法により、目時神父、豊田伝教者、増田詠隊教師ら函館退去命令を受け、有川正教会に移る/ロシア領事引き揚げる  
フェオドル豊田伝教者、上京し、ニコライ師に函館、有川の状況を報告 ニコライの日記(Ⅷ)
ロマン福井神父(根室)、復活大祭近くに来函。聖大金曜日の祈祷に100名以上の参祷者、復活大祭に150名以上、その後廻家祈祷、無事終了 正教時報1024号
有川正教会では目時神父によって、創立以来、初めて復活大祭当日の祈祷が行なわれた 正教時報1021号
午前2時50分頃に祈祷終了、翌日午後1時に感謝祈祷・祝賀会、祝詞演説16名、夕方6時頃教会、54名、異教徒3、4名、聖枝祭に授洗8名  
1905 明治38年 日露講和条約締結/南樺太日本領有となる  
1906 明治39年 ニコライ師、大主教に昇叙  
領事トラウドショルド着任、領事館開庁  
1907 明治40年 函館大火により、領事館及び聖堂焼失(写真  
函館デンビー商会設立  
1908 明治41年 ロシア領事館落成(現、旧ロシア領事館)  
1912 大正1年 大主教ニコライ永眠  
モイセイ白岩徳太郎神父着任(1912~1941)/夜学のロシア語教室を開く  
堤商会、本部を新潟から函館に移す  
デンビー商会の通訳加藤一徳、全編ロシア語の「函館案内」を出す 函館市史
1914 大正3年 露領漁業貿易研究会発足  
銭亀沢村大字笹流に旧教徒のロシア人一行入植  
第一次世界大戦始まる  
1916 大正5年 二代目の聖堂、再建/成聖式(10月15日)(写真  
箱根塔ノ沢より大鐘移設/セイルギイ(チホミーロフ)主教来函、成聖式司祷  
山下りんのイコン12枚(12大祭)(写真  
1917 大正6年 ソビエト政権樹立  
1921 大正10年 日魯漁業株式会社発足  
1922 大正11年 函館に市制が敷かれる  
1928 昭和3年 聖堂の鐘を東京復活大聖堂に贈り、代わりに大小6個の鐘を譲り受ける  
1937 昭和12年 府主教セルギイ函館巡回  
1942 昭和17年 イアコフ藤平神父着任(1942~1946)  
聖堂の鐘、軍に供出  
1947 昭和22年 ニキタ近藤昇太郎神父着任(1947~1959)  
1950 昭和25年 「函館基督正教会」を「函館ハリストス正教会」と改称  
1959 昭和34年 イアコフ出原惣太郎神父着任(1959~1961)/日比神父札幌兼任(公会後)  
1961 昭和36年 イオアン厨川勇神父着任(1961~1980)  
1968 昭和43年 ギリシャ人、リバノス氏より大鐘寄贈される(その後の破損により、現在上磯正教会在)  
1970 昭和45年 日本正教会、聖自治独立教会として祝福認可  
    故ニコライ(カサトキン)大主教、「亜使徒日本の大主教聖ニコライ」として列聖  
1972 昭和47年 フェオドシイ(永島)主教、「東京の大主教、全日本の府主教」として着座  
1980 昭和55年 厨川神父休職し、ロマン大川満神父臨時管轄(~1981)  
1981 昭和56年 ニコライ築茂三郎神父着任(1981~1991)  
1983 昭和58年 聖堂が国の重要文化財の指定を受ける  
中川氏(三重県)より鐘楼の大鐘、寄贈される  
1988 昭和63年 重要文化財としての三年にわたる聖堂修復工事完了/成聖式(11月6日)  
フェオドシイ府主教座下来函、成聖式司祷  
1990 平成2年 函館市のカントリーサインに聖堂が起用される。 (画像  
1991 平成3年 アレクセイ松平康博神父着任(1991~1994)  
1994 平成6年 アントニイ石動神父着任(1994~1995)  
1995 平成7年 イオフ馬場登神父着任(1995~2008)  
1996 平成8年 環境庁より聖堂の鐘の音が「日本の音風景百選」に認定される  
1999 平成11年 フェオドシイ永島府主教座下永眠  
2000 平成12年 掌院セラフィム(辻永)師、「仙台の主教」に叙聖  
ロシア正教会総主教アレクシイⅡ聖下来函  
京都の主教ダニイル(主代)座下、「東京の大主教、全日本の府主教」として着座  
2002 平成14年 東日本主教教区主催「聖ニコライ祭」が開催される  
2008 平成20年 ニコライ・ドミートリエフ神父着任(2008~  
ロシア外務大臣ラブロフ氏来函し、函館正教会に参堂(写真  
2009 平成21年 函館ハリストス正教会公式ホームページ開設(11月)  
2010 平成22年 アキラ吉川昭副輔祭、輔祭に叙聖  
正教会聖歌コンサート開催(信徒会館)  
降誕祭にセラフィム(辻永)主教座下巡回、降誕祭司祷 (写真  
2011 平成23年 東北地方太平洋沖地震起こる(3月11日)  
亜使徒日本の大主教聖ニコライ渡来150年を迎える  
函館正教会聖歌隊による聖歌CD「正教会聖歌Ⅱ」が東日本主教々区から出る  

ロシア極東連邦総合大学函館校にて正教会聖歌コンサートを行う(写真

 
旧函館区公会堂において正教会聖歌コンサートを行う (写真  
「函館ハリストス正教会史」を刊行(*1)(写真  
境内地聖堂南側に聖ニコライのイコンが設置される(写真  
2012 平成24年 北海道ブロック主催「キャンプだホイ! 2012 in 道南」を開催、参加者約100名(写真  
仙台の主教セラフィム(辻永)座下、大主教に昇叙  
亜使徒日本の大主教聖ニコライ永眠100年を迎える  
ロシア正教会総主教キリル聖下来函(9月14日)(写真  
ロシア正教会キリル総主教聖下寄贈石製十字架設置工事完了(函館ロシア人墓地)(写真  
元町・教会めぐり2012 (ニコライ神父の挨拶聖歌隊  
2013 平成25年  函館ハリストス正教会婦人会140周年祝賀会(12月1日)(写真  
2014 平成26年  下村博文文科大臣来堂(6月14日)(来堂ゲストブック  
 ロシア帝国初代駐日領事ゴシケヴィッチ生誕200年記念行事(9月27日、28日)(写真  
2016 平成28年 函館ハリストス正教会復活聖堂100年記念行事(6月26日)(ポスター聖堂前にて聖歌隊コンサート記念レセプション)  

 

*1:『函館ハリストス正教会史』より一部内容を抜粋して順次掲載中です

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