函館ハリストス正教会

正教会読み物 ~ イコンについて

イコンとは

聖堂に入ると、イコノスタス(障壁)や壁にイコンがあります。家でも私たちはイコンの前でお祈りをします。

「イコン」とは、神、生神女、神使、聖人を書いたものです。イコンは絵による描写ですが、「描く」とは言わずに「書く」と言います。イコンは「色彩による神学」と言われ、色彩を用いた描写でありながら、あたかも文字で書かれた神学書のように正教の教えを伝えるからです。私たちは降誕祭のイコンを見て、主ハリストスが人体をとってこの世に現れた時の様子を目の当たりにし、顕栄祭のイコンを見て、ファヴォル山での出来事を目の当たりにします。

イコンは、必ず成聖しなければなりません。成聖されて初めて神・聖神°の恩寵が活き、「像」は「聖像」となり、祈祷の対象として用いることができます。この神・聖神°の力は、病人の癒しや願いの成就など、さまざまな奇蹟の形をもって人々の中に顕れます。

最初のイコンは、主イイスス・ハリストス自身が顕されました。シリヤのエデッサという町を統治していたアウガリという人の病を癒すために、主ハリストスがご自分の顔を手ぬぐいで拭かれると、その手ぬぐいに主ハリストスの顔が現れました(うつりました)。アウガリ公は、この手ぬぐいに現れた主の顔を前にして祈り、病から癒されました。これが世の中に現れた最初のイコンです。人間の手によって描かれたのではない聖像という意味で「主の自印聖像」と呼ばれます。(※「主の自印聖像」の記憶日は、8月16日(旧暦)/8月29日(新暦)。「主の自印聖像」の聖伝についての詳細は、日本語の文献では日本ハリストス正教会教団発行『諸聖略伝八月』に記載されています)。

イコンの前で祈る時大切なことは、目の前に見えるイコンそのものが主ハリストスや生神女マリヤなのではなく、私たちはそこに書かれている主ハリストスや生神女の姿を見ながら彼等に思いを馳せ、主に祈るのであり、生神女に祈るのです。このことは聖書と同じです。私たちは聖書という印刷物としての「本」を尊崇しているのではなく、そこに記されている神の啓示や教えを敬虔に読むことによって、自分の思いや霊を神の世界と調和させることができます。  聖堂に入ったときは、先ず中央のアナロイの上にあるイコンの前に立ち、二回十字を描き、接吻し、最後に一回十字を描いて軽く頭を下げ、ロウソクを立てます。その後、聖堂内の他の場所にあるイコンの前で祈ります。接吻する場所は、書かれている姿の顔の上などは避けるべきです。

 

神使のイコン

イコンには、神と生神女の他に神使(アンゲル)も書かれます。

まだこの世や人間が創造される先に、神は神使を創造されました。神使は肉体を持たない神°(霊)ですから、目に見えません。また、私たちの霊と同じように永遠不死です。しかし神使たちは私たちよりも高い能力、より完全な智恵を持っています。彼等は常に神の意志の通りに動き、罪を犯しません。文字通り「神の使い」として、神使は度々、人間に見える姿をとってこの世に現れ、人間に神の意志を伝えてきました。「アンゲル」とは「知らせる者、伝える者」という意味です。

洗礼の時、神は各自に庇護神使を与えます。庇護神使はその人の地上での生涯を罪や災難から守り、この世を離れた後もその人の庇護神使であり続けます。

神使はイコンに書かれる時、美しい青年の姿で書かれます。これは聖神°性の美しさを現しています。翼が書かれるのは、彼等が瞬時にして神の意志を行動に移すことを現しています。

 

聖人のイコン

イコンには、神と生神女と神使(アンゲル)のほかに聖人が書かれます。

聖人とは、私たちと同じ人間としてこの地上で生涯を送りましたが、その義なる生き方によって神の御心に適った人たちです。彼等の霊は地上を離れた後、天に揚げられ、神の宝座のもとで私たちのことを神に祈り、転達し(とりなし)ています。

聖人には様々な呼称(タイトル)があります。預言者、使徒、亜使徒、致命者、成聖者、克肖者、清廉者、至福者(佯狂者)、義人などです。

預言者とは、神・聖神°の働きにより神からの啓示を受け、未来のこと ―- 特に救世主ハリストスのことを預言した人たちです。彼等は主ハリストスの降誕迄の時代の人々です。

使徒とは、主ハリストスに一番近い弟子たちです。彼等は聖神°降臨(五旬節)の後、世界中に主ハリストスの教えを述べ伝えました。彼等は最初12人、後に70人になりました。

彼等のうちの二人、ペートルとパウエルを首座使徒と呼びます。彼等が他の弟子たちよりも大いなる働きをしたからです。

福音書を著したマトフェイ、マルコ、ルカ、イオアンを福音記者と呼びます。

使徒と同じように、世界各地で伝教に携わった聖人を亜使徒と呼びます。ロシアに正教を伝えた聖オリガと聖ヴラジーミル、グルジヤの聖ニーナ、日本の聖ニコライなどがいます。

致命者とは、主ハリストスへの信仰のために迫害に遭い、この世での生命を落とした人たちです。信仰のために苦しみを受け、しかしその後平安のうちに天に召された場合には表信者と呼びます。

成聖者とは、この世で主教品だった聖人です。例えばミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ、モスクワの府主教聖アレクシイなど。

特に聖大ワシリイ、神学者聖グリゴリイ、聖金口イオアンを「世界の大教師」と呼びます。全キリスト教世界の師であるという意味です。

克肖者とは、俗世を離れ、貞潔を守り、斎と祈祷のうちに砂漠や修道院で生涯を送った聖人です。例えば、ラドネジの克肖者聖セルギイ、サロフの克肖者聖セラフィム、克肖女聖アナスタシヤなど。

清廉者とは、報酬を受けずに肉体の病及び心の病を癒した聖人です。

義人とは、俗世に住み、家庭を持ちながら神に適う義なる生涯を送った人々です、例えば神の祖父母義なる聖イオアキム及び聖アンナ(生神女マリヤの両親)。

人類史上初期の義人たちを元祖と呼びます。旧約時代のアダム、ノイ、アヴラアムなどです。

 

教会におけるシンボルについて

教会で私たちが目にするもの、耳にするものには全て信仰のための意味があります。

人間が限りある人智をもって、肉体の目では捉えることができない神及び見えざる世界を認識するためには、目に見える「シンボル(象徴)」が必要です。イコンもその一つです。スロシュの府主教アントニイは、教会におけるシンボルについて次のように言っています。

「シンボルについて説明する時、次のような説明が判り易いであろう。

もし、ある人に空が水面に映っているのを見せたなら、その人の次の行動は水面から目を離し、上を見上げるであろう。これがシンボルの原理である。人間の感覚で捉えられるものを提示することによって、人間の霊性の最も深い部分においてのみ認識できるものを指し示すのである。」

イコンを見るときも、それが示している霊性を理解するためには、信仰の目でそれを見なければなりません。

〔函館ハリストス正教会報 2009年8月・9月号より〕

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