函館ハリストス正教会

正教会読み物 ~ 聖大金曜日について

爾は十字架に(てい)せられて、爾の尊き血を以て我等を律法の(のろい)より(あがな)い、(ほこ)にて刺されて、人々に不死を流し給へり、我等の救世主よ、光栄は爾に帰す。 ( 聖大金曜日早課のトロパリ)

 今年(編注:2011年)正教会は4月18日(月)から受難週間に入ります。受難週間とは、教会暦の上では復活大祭の前の一週間をさし、大変重要な意味を持つ期間です。私たちは、この期間、祈りの中で主ハリストスの地上における最後の日々と十字架上の苦しみを記憶します。

人間の歴史における最大の悲劇、それは被造物である人間が造物主である神・主宰ハリストスを十字架に釘打った聖大金曜日であると言えます。

聖大金曜日に何が起こったのか、ということについては、四福音書の全てに記述があります。ここにその箇所を挙げますので、聖書で確認してみて下さい。

〔マトフェイ伝26章20~27章66節。マルコ伝14章17節~15章47節。ルカ伝22章14節~23章56節。イオアン伝13章1節~19章42節。〕

これらの箇所を読んで分かる事は、主ハリストスが十字架に掛かったのは、突然の成り行きでもなければ、偶然でもないとういうこと。即ち、最初の人間アダムとエヴァが罪を犯して楽園を追放された時、罪に陥った人間を再び神の国に戻すために、神が配慮された人類救贖の計画の途上に置かれた避けて通ることのできない「杯」だったということです。

神の子である主ハリストスはまさにこの人類贖罪の計画の故に、人体をとってこの世に降誕されたのです。神が人間を原罪から救うために先ず「神の性」を「人間の性」に合わせたのです。人間を救うためにそこまで自らを低くされた神の「愛」と「謙遜」 ―― 不完全な人間である私たちが模範とする神の完全なる「愛」と「謙遜」 ―― 私たちが降誕祭において記憶するものです。

そして時が来て、「真の神」であり「真の人」である主ハリストスは十字架に昇り、人類の罪と共に釘打たれ、三日後に復活します。復活祭のトロパリにおいて「死を以て死を滅ぼし」と歌われる所以です。これによって人間は罪の内に死す者ではなく、最後の審判において神の国における永遠の生命への復活を自分のものとすることが可能となったのです。

人間が楽園を追放される所以となった原罪を贖うための代価とは、これほどに人智を越えた主・神の計画の内にあったのです。

 〔函館ハリストス正教会報2011年4月・5月号より〕

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