函館ハリストス正教会

初代聖堂

 函館山の中腹、風光明媚な高台に、日本最初の正教会聖堂が建てられたのは、1860(万延元)年のことであった。

 聖堂は、その名を「箱館復活聖堂」と言った。駐日ロシア帝国初代領事ゴシケヴィチが、「かつてこの国に存在していたけれども滅ぼされてしまったキリスト教が、再びこの国に現れる」ことを願って、このように名付けたのだ。

 日本正教会の黎明、最初の正教会聖堂は、駐日ロシア帝国領事館付属聖堂としてうぶ声を挙げた。

 1860年11月13日に、修道司祭フィラレートによって成聖されたこの聖堂は、ゴシケヴィチ領事の熱意を原動力とし、ロシア病院の医師、領事館員、函館湾に常時駐留していたロシア軍艦の船員たち、箱館の大工たちが力を合わせて造った木造建築だった。

 聖堂は十字の形に建てられ、鐘楼がある。聖堂の中央に一つそびえるクーポルの上には八端十字架(ロシアン・クロス)が立ち、ロシアの片田舎の教会を彷彿とさせる。

 聖堂の中に入ると、彫刻が施され、金色に塗られた王門がひときわ目を惹く。イコノスタスには、主ハリストス、生神女マリヤ、主の降誕、主の昇天のイコンが収められ、北門は神使ミハイル、南門は神使ガヴリイルが書かれていた。昇段の上り口には左右に大きく立派な凱旋旗が掲げられ、聖堂の内観は華麗であり、訪れた者は皆、感嘆したという。

 1861年7月14日、箱館に赴任した聖ニコライを迎えたのは、このような聖堂だった。そして、宣教師の宿命とも言うべきか、聖ニコライにとっては、自分が訪れた土地に既に正教会聖堂が自分を待っているという状況は、これが最初で最後であった。箱館復活聖堂は、聖ニコライが来日した時に既に存在していた唯一の聖堂だった。

 聖ニコライは、それから10年の歳月をこの聖堂で奉職した。どこの聖堂でもあるように、婚配があり、洗礼があり、埋葬があった。

 この聖堂で日本最初の神品機密、パウェル澤邊琢磨の司祭叙聖が行なわれた。

 また、この境内地から新島七五三太(襄)が、アメリカに向けて箱館出航した。(新島は、箱館に来てからアメリカに出航するまでの一か月余りを、聖ニコライの下で日本語教師として寄宿していた)。

 多くの人々の感動と喜びと涙の証人となったこの初代聖堂は、47年間この地にあった。

初代聖堂外観

初代聖堂外観

初代聖堂内観

初代聖堂内観

 

 

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