函館ハリストス正教会

起工式から成聖まで

建築途中の聖堂大正四年秋 漆喰はまだ施されておらず、クーポルの上の十字架もまだ無い

建築途中の聖堂大正四年秋
漆喰はまだ施されておらず、
クーポルの上の十字架もまだ無い

 

 

 1914(大正3)年の時点で、木造の小聖堂を新築するだけの資金が集まったので、白岩神父は函館区に「煉瓦建物並に家屋建築許可願」を提出し、11月には予備工事に入った。

 ところが1915(大正4)年に入って、シネリニコワ姉より函館正教会聖堂建築費として指定献金20,000ルーブルの寄付があったため、直ちに最初計画の聖堂設計を拡張して煉瓦造りとし、同年6月10日、セルギイ主教来函のうえ、白岩神父共に起工式を行なった。

 その後の工事は、凡そ年表に記されているような次第で進んで行く。起工式の5か月後の11月には、上掲写真のように煉瓦壁ができ、屋根まで載っているのである。1915(大正4)年の11月に一旦足場を外したのは、冬の暴風雪に備えた安全対策のためと思われる。

 

西暦・和暦 月日 できごと
1914(大正3) 8月2日 聖堂再建実地調査のため,セルギイ主教、河村輔祭、来函
「聖堂再築願」を函館区長に提出
聖堂予備工事着工
1915(大正4) 2月4日 石垣改築工事着工
5月 石垣工事完了
6月10日 セルギイ主教巡回、起工式
6月13日 コンクリート工事着工
7月14日 セルギイ主教、北海道巡回
7月15日 基礎成聖式
9月10日 煉瓦壁ほぼ完成
11月 屋根完成、足場一旦撤去
1916(大正5) 4月20日頃 鐘楼改段工事
5月頃 円柱組立、箱根塔ノ沢より2トンの大鐘移設
6月19日 セルギイ主教巡回
10月14日 大説教会開催
10月15日 新築聖堂成聖式(セルギイ主教司祷)
10月17日 函館正教会で北海道地方公会開催

「函館ハリストス正教会史」年表より

 

 この年表に挙げられている建設上の進行状況については、「正教時報」ばかりでなく、「函館毎日新聞」、「函館新聞」の紙面上でも詳しく取り上げられており、函館聖堂の再建が、函館の住民の関心事であったことが伺える。

 その一つの例として、イコノスタス用のイコンの到着遅延について「函館新聞」が二回にも渡って報じているのだが、市民を代表して“気をもんでいる”雰囲気が伝わってくる。

 

函館聖堂のイコノスタス(1916年)

函館聖堂のイコノスタス(1916年)
日本で初めて作られたイコノスタスの木枠にロシアのイコン画家ヴェニクが書いた約30枚のイコンが収められて

 

 1916(大正5)年9月13日(夕刊)の記事の要約 : 「聖堂を飾るイコノスタスのイコンは、随分前にペテルブルクから発送されたのに、まだ到着していない。教会の白岩神父、松本氏(編注、伝教者)を始め信徒一同、どうしたものであろうと、それぞれ伝手を求めて、途中を捜索してもらったところ、この度、ウラジオストックに在ることが判った。宛名の間違いから宙に迷っているとのこと。ニコライ堂から受取の人(編注、三井神父)が派遣されたので、10月15日の成聖式までには到着するだろうが、もしかしたら成聖式の日取りが変更になるかもしれない」。

 1916(大正5)年10月10日(夕刊)の記事の要約 : 「先日、ロシア本国から、名画工の筆によるイコン約30枚も到着し、内部の祭壇などの装飾設備共にできあがったので、来たる15日午前7時から成聖式を挙行するそうだ」。

 

成聖式の十字行

成聖式の十字行

 

 また、「函館新聞」のコラムには。函館聖堂のクーポルの上に掲げられた十字架について次のようなエピソードが掲載されている(以下、要約)。

 「その昔、日露戦争当時、旅順は乃木軍に散々打ち悩まされ、半年余りに亘る悪戦苦闘のうち、旅順市街の大概の大建築物は破壊され、教会堂なども同一の運命の下に廃滅した。旅順は全て日本帝国の領有する所となった。後、平和克復に及び、教会堂の十字架等鋳物の破損物を十把一束にして日本帝国政府は、政府にとっては用の無い物として、これを駿河台のニコライ大主教に交付した。その材料を以って、新たに鋳造された十字架が函館山の中腹、ハリストス正教会堂の尖塔に光り輝いているのである」。

 

 

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