函館ハリストス正教会

時代背景

 函館という土地柄は、歴史的にロシアとの関わりが深いためか、もともと親露的であるが、函館聖堂が再建された1916(大正5)年頃というのは、どのような時代だったのか。

 1916(大正5)年に第四次日露協約が調印され、日本中で祝賀の宴が催された。函館でも北守政直函館区長が日露協約祝賀会委員長となり、在函館ロシア副領事レベジェフを主賓として一大盛宴が公会堂において開かれた。露国皇帝陛下及び日本皇帝陛下にそれぞれ万歳三唱が唱えられ、花火が打ち上げられた。函館商工組合連合会、並びに露領水産組合支部主催の提灯行列に連なった参加者は、五千人に及んだ。

 また、1914(大正3)年に勃発した欧州戦争(第一次世界大戦)に、イギリス、フランスと共に三国協商を形成していたロシアを支援すべく、日本正教会においては「慰問袋」の募集が行なわれた。

 函館では、函館正教会が慰問袋募集の拠点となった。「函館新聞」は、慰問袋の募集を奨励し、1916(大正5)年9月15日の締切に間に合うようにと再三呼びかけている。全国から東京本会に集められた慰問袋は、同年10月8日、東京本会からロシアに向けて発送された。その4日後、聖堂成聖式のために来函したセルギイ主教は、函館が慰問袋の募集に対して多大なる尽力をしたことに対する礼を述べている。

 函館においては、露領漁業の隆盛期でもあった。函館は「露領漁業の策源地」と言われ、対露関係では開港以来再び大きな脚光を浴びるに至った。函館は人・物・金・情報が集まる露領漁業の中心基地になっていたのである。露領漁業協約三年目の1910(明治43)年では、露領出漁船舶の6割は函館から出港していた。カムチャッカ漁業で成功した函館デンビー商会は、1908(明治41)年に設立された。A.デンビーは、函館正教会や白岩神父と親しく交流していた。

 このように日露友好親善の環境は文字通り“三拍子”揃っており、このような時代背景の中で、函館聖堂は成聖式を迎えたのである。

 翌1917(大正6)年、ロシア革命(十月革命)が勃発する。

1916(大正5)年は、“日露関係が蜜月期にあった最後の年”という表現ができるだろう。

 

全国の正教会から東京本会に集められた慰問品 ロシアのペトログラードに送られた

全国の正教会から東京本会に集められた慰問品
ロシアのペトログラードに送られた

 

 

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